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旧 大豆戸 村 ・ 旧 大曽根 村 の 「 大 」 と 、 旧 南 綱島 村 ・ 旧 北 綱島 村 の 「 綱 」 を 合わせ て 「 大綱 村 」 と し た 。

同市 中 区 の 東新 町 停留 場 を 起点 に 、 東 区 を 経 て 北 区 の 大曽根 停留 場 まで を 結ん だ 。

山口 町 から 二つ 北上 し た 先 が 高岳 線 の 終点 大曽根 停留 場 で ある が 、 この 手前 ( 南側 ) に 当時 地上 を 走っ て い た 名古屋 鉄道 ( 名鉄 ) 瀬戸線 と の 平面 交差 が 存在 し た 。

大曽根 停留 場 は 市道 や 国道 19 号 など が 交差 する 大曽根 交差点 に 位置 し て い た 。

交差点 が 五 叉 路 で ある の に対し 、 市電 は 高岳 線 と 名鉄 上飯田 駅 方面 へ 北上 する 御成通 線 、 国道 19 号 を 北東 方向 へ と 進む 大曽根 線 が 集まる 三叉路 で あっ た 。

翌 1915 年 ( 大正 4 年 ) 3 月 17 日 赤塚 まで の 0 . 8 km 、 同年 4 月 26 日 徳川 邸 前 ( 後 の 徳川 町 ) まで の 0 . 7 km と 順次 延伸 し 、 5 月 30 日 に 大曽根 まで の 0 . 6 km が 開通 し て 東新 町 ・ 大曽根 間 が 全通 し た 。

この 時点 で は 、 東新 町 ・ 大曽根 間 約 3 . 6 km は 、 高岳 線 で は なく 「 大曽根 線 」 という 名称 で あり 、 高岳 線 は その 別名 で あっ た 。

4 年 後 の 1971 年 ( 昭和 46 年 ) 2 月 1 日 に は 、 明道 町 線 菊井 町 から 御成通 線 上飯田 まで の 廃 線 に 伴い 東側 の 赤塚 ・ 大曽根 間 が 廃止 さ れ た 。

大曽根 線 ( おお ぞ ねせ ん ) は 、 かつて 愛知 県 名古屋 市 に 存在 し た 名古屋 市電 の 路線 ( 路面 電車 ) の 一つ で ある 。

同市 北 区 に あっ た 大曽根 停留 場 と 東大曽根 停留 場 を 結ん だ 。

起点 の 大曽根 停留 場 の 次 が 終点 東大曽根 停留 場 という 、 途中 の 停留 場 の ない 路線 で ある 。

大曽根 停留 場 は 、 国道 19 号 と 市道 が 形成 する 五 叉 路 の 大曽根 交差点 に 位置 し た 。

この 交差点 は 市電 の 三叉路 で も あり 、 ここ で 南方 へ 伸びる 市道 を 進む 高岳 線 、 北方 へ 伸びる 市道 東大曽根 上飯田 線 を 進む 御成通 線 と 、 この 大曽根 線 の 3 路線 が 集まっ て い た 。

なお 、 大曽根 線 と 直通 でき た の は 高岳 線 のみ で 、 大曽根 線 から 御成通 線 に は 直通 でき ない 配線 で あっ た 。

交差点 の 南東 角 に は 名古屋 鉄道 ( 名鉄 ) 瀬戸線 の 大曽根 駅 が あり 、 その さらに 南方 に は 国鉄 ( 現 ・ JR 東海 ) 中央 本線 の 大曽根 駅 が 立地 し て いる 。

現在地 下 に は 名古屋 市営 地下鉄 名城 線 の 大曽根 駅 も ある が 、 開業 は 大曽根 線 廃止 後 の 1971 年 ( 昭和 46 年 ) で ある 。

大曽根 線 は 1928 年 ( 昭和 3 年 ) 3 月 、 名古屋 市 が 打ち出し た 市電 の 「 第 2 期 建設 改良 工事 」 における 新規 路線 の 一つ として 軌道 敷設 特許 が 取得 さ れ た 。

しかし この 計画 は 2 路線 を 新設 し た ところ で 1930 年度 ( 昭和 5 年度 ) に 打ち切ら れ 、 大曽根 線 も 未 開業 路線 と なっ た 。

1965 年度 ( 昭和 40 年度 ) から 1969 年度 ( 昭和 44 年度 ) にかけて の 段階 的 な 路面 電車 撤去 計画 で ある 「 交通 事業 の 5 か年 計画 」 が 1965 年 3 月 に 策定 さ れ て い た が 、 大曽根 線 は 計画 策定 後 最初 に 撤去 さ れ た 路線 と なっ た 。

路線 の 開通 時 から 廃止 時 まで 、 設置 さ れ て い た 停留 場 は 大曽根 ( おお ぞ ね ) と 東大曽根 ( ひがし おお ぞ ね ) の 2 か所 のみ で ある 。